第19回:ジャンケンゲーム理論

 仕事に追われ、1週間遅れの「たけしのコマネチ大学数学科」第19回。今回のテーマは、昔懐かし「グリコ・ジャンケン」。

 「グリコ・ジャンケン」と言っても、若い世代の人にはわからないかもしれない。要は、ジャンケンをして、グーで勝ったら「グリコ」と3歩進み、チョキで勝ったら「チョコレート」、パーで勝ったら「パイナップル」とそれぞれ6歩進む……これを繰り返し、できるだけ進んだほうが勝ちという単純なゲームだ。

Ex_1901  で、問題は「グー・チョキ・パーをどのような割合で出したら、いちばんベストな手になるかを答えよ」というもの。今回、コマ大数学研究会のメンバーは、東京タワーの外階段(600段)を使って検証。ふたチームに別れ、先に上りきったほうのチームを勝ちとし、勝利チームのグー・チョキ・パーの出現割合「6:8:3」を答えとした。マス北野は「1:3:2」、東大生コンビは、最も期待値が高くなる計算で「0:1:0」と、チョキばかりを出す、見え見え作戦だった。

 「美しき数学の時間」では、中村亨センセが単純なゲームを難しい計算で解き明かし、誰もが納得する答えを導き出した。中村センセの戦法を組み込んだ「Flash」のジャンケンゲームを作ったので、遊んでみてほしい。あまり勝負が長くなっても困るので、先に「60ポイント」を取ったほうを勝ちとした。東京タワーの階段数と同じ「600」ポイント(10回勝負)をすれば、コマ大数学研究会の答えに近づくかも……。

 ノーベル賞には「数学賞」がないが、「ゲーム理論」で1994年ノーベル経済学賞を受賞した数学者「ジョン・フォーブス・ナッシュ」を題材にしたのが、映画「ビューティフル・マインド」なんだってさ。

ビューティフル・マインド
ビューティフル・マインド

販売元:角川エンタテインメント
発売日:2005/04/28


累計500万部!

500_blog  私が執筆に参加した学研の「500円でわかる楽しいブログ」の見本誌が届いた。たぶん、もう書店には並んでいると思う。私が書いたのは第4章のみ。この「500円でわかる」シリーズなんだけど、ついに、累計で500万部を突破したようだ。単純に発行部数に価格を掛け合わせると「25億円」……こんな計算をしても、私の生活がラクになるわけではないけど。

 で、この本を書くため、実際に検証してすごく便利だと思ったのが、「Movable Type」を使ったブログの引越しだ。以前、このブログの「ブログを無料でPDFへ!」というエントリにも書いたが、多くのブログは「Movable Type」が組み込まれていて、エクスポートとインポートという操作で、過去の記事もそっくりそのまま、ブログの引越しができるようになっている。

 記事では「ココログ」から「はてなダイアリー」への引越しをしたのだけれど、エントリの日付や、自作のカテゴリも含めて問題なく再現できた。写真や画像は、元のブログのデータにリンクして表示しているだけなので注意が必要だ。また、コメントやトラックバックなど抜け落ちてしまう情報もある。それでもエクスポートとインポートはブログのバックアップとしても有効だと思う。

 というのも、「たけくまメモ:【業務連絡】過去ログが消えた?」という気になるエントリを見たからだ。竹熊氏の「たけくまメモ」は、もうじき1000万アクセスに達するほどの人気ブログ。過去の記事は、氏の歩んできた記録でもあるし、貴重な財産だ。それが、もし一部でも消えてしまったら大変なことだよね。

しばらく更新できません;;

小飼弾氏の「404 Blog Not Found」でリンクを貼ってもらったことで、この「ガスコン研究所」を訪れる人も増えたのですが、しばらくの間、仕事に集中したいため、ブログの更新ができません。「たけしのコマネチ大学数学科」は録画しているので、時間に余裕ができたとき、折を見て紹介するつもりです。

第18回:割り当て問題

 ふだん家から一歩も出ない、ひきこもり生活を送っているが、月に一度くらい、校了とか、打ち合わせのため、編集部に行く。原稿や画像の受け渡しはネットで行えるが、インターネットの時代になっても、直接、顔を合わせての打ち合わせが必要だ。しかし、めったに人ごみに出ることはないし、歩かない私にとって、かなり疲れることで、家に帰るとぐったりしてしまう「たけしのコマネチ大学数学科」の第18回。

 今回の問題は、野球選手A~Eのデータを元に、どのポジションに割り当てたら、チームの戦力をベストにできるかというもの。データの数値は、低いほどよい。つまり、データの数値は、エラーの数と考えるとわかりやすい。

Ex_1801

 今回もマス北野は数学的なカンを見せる。データをゴルフのスコアと見なし、最小値を「パー」と考え、各選手の最小値をデータから引く。

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最小値「パー」の合計は「26」となるので、ポジションの割り当ては、いかに、この最小値に近づけることができるかが問題となる。それで、各選手のパー「0」をチェックすると、ポジション「SS」では、選手が重なり、いっぽう「外野」では誰もいない状況になる。

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B選手の「3塁」は決定で、「1塁」はC選手にまかせてもいいだろう。問題は、「外野」を誰が務めるかである。もし、A選手が「2塁」のポジションをとったら、D選手か、E選手が「外野」をやらなければならなくなり、どちらも「+3」でチームにとっては、ありがたくない。A選手が「外野」をやってくれれば、「+1」で収まる。残る「2塁」と「SS」だが、D選手が「2塁」をやると「+3」になってしまうので、E選手が「2塁」(+1)、D選手が「SS」ということで、チームとしては、ベストなポジション割り当てになる。

 中村亨センセの「美しき数学」では、さらに手順を追加し、確定的にポジションを決定できるようにデータを組み立て直していたが、私としては、マス北野の「パー」と「ハンデ」という考え方のほうがわかりやすかった。
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 こういった考え方は、現実の問題として広く使われているようだ。番組では「線形計画法」が紹介されていた。中村亨センセの言うとおり、選手が5名の場合は、選手のポジションの組み合わせは、5の階乗で120通りだが、選手が10名になると、3,628,800通りにもなる。力まかせに、すべての組み合わせを実行し、最小値を求めるやり方では効率が悪い。そこで、いろいろなアルゴリズムが考えられているという。

 ところで、関係のない話だが、あるブログで「編集者Blogはナゼ滞るのか?」という記事を目にしたが、その理由として……

1.通常業務が忙しいので書けない。
2.編集後記ノリのヌルイ内容では厳しい批判に晒されるので書けない。
3.特に主義主張がある訳でもなく書くべき事が無いので書けない。
4.給料が増える訳でも講演依頼が来る訳でも無いので馬鹿らしくて書けない。
5.編集長も書いてないから...。
6.怠け者の家系なので...。

 ……と理由を挙げていた。もちろん、これには「ライター」の立場は含まれていないが、「ライターのブログはナゼ更新が滞るのか?」ということならば、それは「編集者が見ているから」という項目を付け加えたい。もし私が編集者の立場なら、お金を払って原稿を依頼しているのに、その原稿の締め切りを守らずに、一銭の得にもならぬ、ブログの記事を書いている。「そんな時間があるのなら、1時間でも、1分1秒でも早くこちらの原稿をアップしろ!」と思うのがトーゼンだ。やはり怒りますよ。つまり、ブログの更新ができるのは、ちゃんと締め切りを守っているライターのみ……とゆーか、少なくとも、修羅場ではない状況、人間関係が壊れない状況ということなんだよね。

メメント

メメント
メメント

販売元:アミューズソフトエンタテインメント
発売日:2006/06/23

 先日、ケーブルテレビのチャンネルで「メメント」という映画を観た。ある日、自宅にいるときに何者かに襲われ、妻を殺されてしまう。自分も頭を殴られときのショックで「前方性健忘」になってしまう。「後方性健忘」は過去の記憶を忘れてしまう、つまり記憶障害や記憶喪失となるが、「前方性健忘」の場合は、短期記憶はできても、長期記憶が作られない、つまり、その時点からの記憶が喪失しちゃうのだ。

20060817  以前、養老孟司氏が案内役を務めたNHKスペシャルの「脳」という番組で、弁護士を目指している大学生が脳の中の「海馬」という部位に損傷を受けて「前方性健忘」になったドキュメンタリーを思い出した。弁護士を目指していたくらいだから、頭は良いのだが、記憶が作られないことで、さまざまな弊害が起きる。料理を作っていても途中で自分が何を作っているのか忘れてしまうのだ。もちろん、人間関係にだって影響が出る。前に話したことを忘れてしまうし(この程度ならアル中性健忘の私にはよくあること)、その人の顔や名前も忘れてしまう。「博士が愛した数式」という映画を私はまだ観ていないが、これも「前方性健忘」を扱った映画なのかな?

 で、弁護士を目指していた大学生の彼がどうしたかというと、録音機を持ち歩き、何でも、それに記録する。1日の終わりに、誰それと、こんな会話をしたと、日記のようなメモを取る。この何冊にもなったメモこそが彼の記憶のすべてなのだ。番組内で彼が記憶を失う前、「後方性健忘」ではないため、海馬が損傷する前の記憶は完全に残っている。しかし、彼の記憶に残っているのは、家族(母)との軋轢だった。その後の記憶がないため、その時点の記憶のまま、関係を修復することもできずにいる。

 映画「メメント」の主人公の最後の記憶は、妻が殺されるシーンと何者かの影だった。そこで、彼は妻の復習のため、犯人を捜す。といっても、朝、目覚めれば、自分がどこにいるのかの記憶もない。昨夜、誰と会って、何を話したかも忘れている(くどいようだけど、アル中性健忘の私も、酒を飲んで記憶が飛んでしまうことがある)。彼は、ポラロイドカメラを持ち歩き、写真を撮り、そこにメモを書き込む。メモだと紛失してしまう可能性があるので、重要なことは、自分の身体にイレズミを入れて残す。そうして妻を殺した犯人を追い続ける。

 映画「メメント」は、主人公の立場で、つまり、映画が始まった時点では、見ている我々も、何の情報(記憶)も持っていない。そこから、10分前の記憶をたどっていくという形をとる。つまり、記憶が消える10分ごとに時間軸が遡っていくのだ。酒を飲んだ翌日、自分が何をしゃべったのか、何をしたのかの記憶が飛んだとき、すごく不安で落ち込む私だが、それどころではないだろう。とにかく、映画を観ていても、通常の時間軸ではないので、その都度、頭の中に状況を構築し直していかなければならず、非常に疲れると同時に謎解きという点では、引き込まれ、楽しめる。これこそが、この映画の秀逸した演出であり、要なのだ。

 映画「メメント」のオチを書くわけにはいかないが、例の弁護士を目指していた大学生がどうなったかということは書いておこう。もちろん、弁護士の夢はあきらめざるを得ない。家族(母)との軋轢は、子供時代から、大学生になるまでの記憶は残っているわけで、実際に会って、思い出をつむいでいくうちに、氷解していく。そして、番組の終盤では、記憶というものの奥深い一面を見せてくれる。短期記憶にも、長期記憶にも属さない記憶がある。それは、繰り返し、繰り返し、自分の身体を使ってやっと習得できる記憶だ。たとえば、最初、自転車に乗れなかったのに、繰り返し、繰り返し練習することで、やがて乗れるようになる。そうして身体が覚えた記憶は、しばらくぶりに自転車に乗っても、すぐに蘇るというか、忘れることがない。海馬を損傷して未来への記憶をなくした大学生は、家具職人として、未来を生きていく道を選ぶ。まずは、母が使っていた椅子を修理するところから……。

《忘れてしまわないための、酔っ払いのメモ》

・「てんかん」のロボトミー手術
・シリコンチップが記憶を作る「人工海馬」の研究
・ペンローズ「皇帝の新しい心」量子脳理論

わかったよ。何が?

わかったよ。何が? 永遠というものさ。
それは、海に溶け合う太陽だ。

これは、私が高校時代に読んだ、アルチュール・ランボーの詩の断片的な記憶だ。誰の訳だったのか、文面も正確には覚えていない。


手元にある新潮文庫の「ランボー詩集」(堀口大學/訳)を見ると、

もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った
海だ。

とある。なんか違うなぁ。絶対に高校生のときに読んだランボー詩集ではない。

で、「わかる」ということに関して、アル中の乱暴な解釈をしてみたい。一般的には「分かる」と書く。もちろん「判る」や「解る」もあるが、常用外だ。

「分かる」ためには「分ける」行為が伴うと思う。インターネットは「智の共有」という理念がある。お金は分け与えると、減ってしまうが、知識や知恵は分け与えても、その人の知識や知恵が減ることはない。

自分の知識なり、感情なりを分け与えたとき、それが相手に届き、相手が咀嚼し、理解し、納得したとき、はじめて「分かった」となる。知識なり、感情なりを共有したことになるのだ。

キリスト教とイスラム教の対立や、テロや戦争のニュースに接するたび、国家や宗教を超えた、共通の価値観、共通の基盤がないものかと考えてしまう。

アメリカは「テロ国家」と「正義の自国」に分けて、戦争を行う。「牛肉の全頭検査は非科学的」と言い、「自国の牛肉は科学的に安全」と分別顔で言う。自分たちの「アメリカン・スタンダード」と「そうでないもの」に分ける。何が何でも都合よく「分けて」力づくで押し付けようとしても、納得できないものは「分からない」のだ。

仏教では「分別智」と「無分別智」と言う考え方があるらしい。なんか「分別ゴミ」と「無分別ゴミ」みたいだが、私の場合「思慮分別」は「ふんべつ」、「分別ゴミ」は「ぶんべつ」と分別している。「分別智」は、自他の区別を前提として行われる、煩悩(ぼんのう)をもつ人間の思考。それに対し「無分別智」というのは、対象を客体として認識・分析する分別を超えた絶対的な智。世界の窮極の真理を把握する智慧(ちえ)だそうである。とはいえ、人間は肉体という境界を超えることはできない。他者を客体として認識することで、自我を認識する。だから、悟りを開いちゃったりすると、無我の境地になっちゃうんだろうな。

わかったよ。何が? 無我というものさ。
それは、うつ病から立ち直った竹脇無我だ。

陰日向に咲く

 今更ながら「陰日向に咲く」を読んだ。帯には「43万部突破!」とあり、奥付を見ると「第16刷」だった。8月の時点で、すでに「50万部」を超えているそうだから、まだまだ売れ続けているのだろう。

 「陰日向に咲く」というタイトルどおり、この小説は社会からは日陰に住む人たちが入れ替わりに登場する連作小説で、ちょうど日陰の中に、ぽっかりできた小さな陽だまりのような暖かさを感じさせる人間模様を描き出している。

 劇団ひとり(川島省吾)は、パイロットの父と、CA(キャビンアテンダント)の母を持つ、おぼっちゃまで、父の仕事の都合で小学校時代をアラスカ、アンカレッジで過ごした、いわゆる帰国子女だ。「ボキャブラ天国」の頃、「スープレックス」という漫才コンビでデビューしたが相方が失踪してしまったため、ピン芸人「劇団ひとり」が誕生した。さまざまなキャラクターを演じ分ける、たったひとりの劇団だが、その団員(キャラクター)は、すでに百人に及ぶという。つっぱり亭津田沼 、ミサイル堀口、満田丹五郎、ウォンチューレンなどなど団員には、ひとりひとりに名前がついている。「24人のビリー・ミリガン」のように多重人格障害ではないにしても、こちらは「100人の劇団ひとり」だ。

 さまざまな人物が登場する連作小説なので、その点では舞台のネタを作るのと同じなのかもしれない。読み始めると、とまらなくなり、いっきに読ませてしまう。構成が巧みで、ひとつひとつ、ばらばらの真珠の玉に一本の糸を通すことで、見事につながり、首飾りが出来上がるような……。あるいは、ひとつひとつのピースを組み合わせて、ジグソーパズルを完成させたときのような、爽快感がある。作者の術中にはまり、思わず「ニヤリ」としてしまうシーンが何箇所もある。

 三谷幸喜が何かの番組で「期待外れにつまらないというのが、脚本としては最低で、次に期待どおりにおもしろいが真ん中、そして期待外れにおもしろいというのが最高。脚本家としては最高を目指したい」と語っていたが、「陰日向に咲く」は、まさしく期待外れにおもしろい。初の書き下ろし小説がベストセラーになり、「次はコケそうでしょ。だから書きません」と本人は言うが、みんなの期待とプレッシャーを背負いつつ、次回作をぜひ書いてほしい。

陰日向に咲く
陰日向に咲く

著者:劇団ひとり
販売元:幻冬舎 (2006/01)

都会のナポレオン
都会のナポレオン

販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2004/09/23

都会のシェイクスピア
都会のシェイクスピア

販売元:Sony Music Direct
発売日:2006/09/06


コイズミとペンタグラム

Koizumi  今日は朝からコイズミの靖国参拝で大騒ぎ。そんなこととは関係なく、まだ、ペンローズを引きずっていて、「ペンタグラムのローズ」を作っていたら、コイズミの顔までもペンタグラム(五角形)や、タイルに見えてきた。

補習:ペンローズ

 「たけしのコマネチ大学数学科」第17回のテーマは「エッシャー」だった。例題として「ペンローズの三角形」が登場したが、少しペンロースに関して補習しておこう。エッシャーとペンローズは、互いに影響を与え、つながりがあったようだ。エッシャーの絵に触発されたペンローズが作ったパラドクシカルな三角形が「ペンローズの三角形」だ。

 ロジャー・ペンローズの父は遺伝学者の「ライオネル・ペンローズ」。祖父は肖像画家で、父も絵の才能に恵まれ、インク画や油彩を描いていたそうだ。ペンローズが例の三角形の絵を父に見せると、父は興味を示し、さまざまな不可能物体や不可能建築の絵を描き、やがて、どこまでも上り続ける階段を作った。ペンローズと父は、その描いた絵のコピーをエッシャーに送り、エッシャーはそれをさらに発展させ「上昇と下降」という作品に結実させた。また「」も、ペンローズの三角形をベースにした作品だという。
(参考:[対談]ロジャー・ペンローズ+佐藤文隆

 ペンローズといえば、「ペンローズのタイル」が有名。下の図は二種類のタイルを組み合わせて、平面充填していくもの。無限に細分化していくことが可能であることから、無限の平面を充填できることになる。しかも、タイルの組み合わせが反復しない。
(参考:さんすう・数学



 この非反復性の「ペンローズのタイル」をエッシャーは見ることなく他界した。

第17回:エッシャー

 「貧乏ヒマなし」は、あまりありがたくはないけど、貧乏でヒマになってしまうと、生活もできなくなって、もっと困る。働けど働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見る「たけしのコマネチ大学数学科」の第17回。

Ex_1701  まずは例題。左の図は「ペンローズの三角形」。実際にはありない形をしているが、ある位置から眺めると、このように見える図形を作ることができる。

Ex_1702  またまた「Shade」で作ってみたのが、こんな図形。カメラ位置を調整して、普通のレンズだと遠近感がついてうまく重ならないので、並行投影すると、「ペンロースの三角形」に見える。

 今回の問題は、ある角度から見たとき、下の図のように見える図形を作りなさいというもの。

Ex_1703

 これはエッシャーの「ベルベレーデ(物見の塔)」にも登場する図形だそうだ。今回は、どんな方法でも、上の図形に見えればいい。非常にユニークな解答をしたのが数学研究会のメンバーだった(不正解だったけど)。東大生チームは、解答へ辿り着く方法はマス北野と同じだったが、雑な作りなためフィールズ賞を逃した。

番組で竹内薫センセが紹介していた本がおもしろそう。

「ゲーデル、エッシャー、バッハ – あるいは不思議の環」

中心となっているテーマは「自己言及」だが、これが数学におけるゲーデルの不完全性定理、計算機科学におけるチューリングの定理、そして人工知能の研究と結びつけられ、渾然一体となっている。エッシャーのだまし絵やバッハのフーガはこれらをつなぐメタファーとして機能している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

ゲーデル、エッシャー、バッハ
ゲーデル、エッシャー、バッハ
―あるいは不思議の環 20周年記念版

著者:ダグラス・R. ホフスタッター
販売元:白揚社