Flash Basic 8

ヨドバシカメラから「ポイントカードの期限が切れますよ」という通知が届いた。ヨドバシの場合、ネットでも使えるポイントカードにするには、手続きが必要なんだよね。だから、最近は、ビックカメラを利用していた。溜まっているポイントは1万円くらいだったけど、もったいないので、わざわざ出かけ、ポイントを利用して「Flash Basic 8」を購入することにした。

私が使っていた「Flash」は、かなり前のバージョン5だったので、どんな新機能があるのかな、と見ていたら「タイムラインエフェクト」に「爆発」という項目があるのを見つけた。

注意:ガラスの割れる音がするので、ビックリしないように(とくに会社で内緒で見ている人は注意)。再生する前に音量を確認してください。また、RSSリーダーによっては、Flashコンテンツが表示されないものがあるようです。

Glass01 Flashでは、シンボルを移動させたり、拡大縮小、回転させたりするとき「モーショントゥイーン」という機能で、始点と終点を指定すると、その間のアニメーションを自動的に作成してくれる。これと、同じ感覚で、シンボルを指定して「タイムラインエフェクト」の「爆発」を選び、フレーム数や方向などを指定すると、ばらばらに破片が飛び散るアニメーションを自動的に作成してくれる。

自分で爆発のアニメーションを作るとなると、大変だが、このエフェクトを使えば、あっという間にできちゃう。こういったツールにあらかじめ用意されているエフェクトには、まったく使い物にならないものも多いのだが、この「爆発」は、簡単なシューティングゲームや、クイズで不正解のほうのパネルを壊す演出など、使い道が考えられそうだ。

国士無双

役満で上がった記念に……。

Majan

この「3D麻雀」は、有限会社ゲームデザインというところが作っているのだが、完全3Dなので、方向キーで見る角度を変えることも、麻雀卓をグルグル360度、回すこともできる。インチキなし、飾りっけなしのシンプルな麻雀ゲームだ。価格はなんと800円。安いし、私は気に入っている。「楽天ダウンロード」で購入できるよん。

ゲームデザイン」のホームページでは、WindowsやFlashの良質なゲームを無料で公開していて、こちらもけっこう楽しめる。

脳のからくり

脳のからくり―わくわくドキドキする脳の話 Book 脳のからくり―わくわくドキドキする脳の話

著者:茂木 健一郎,竹内 薫
販売元:中経出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「ペンローズの量子脳理論」(竹内薫/訳・茂木健一郎/解説)は、なんだか難しそうだなぁ……という印象だったので、私にも理解できそうな「脳のからくり」(竹内薫/著・茂木健一郎/監修)を読んだ。

 この本は、脳科学の最先端の研究を非常にわかりやすい言葉で解説してくれる。片や「たけしのコマネチ大学数学科」の講師としてお馴染の竹内薫センセだし、片や「アハ!体験」や「クオリア」で「世界一受けたい授業」やNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の茂木健一郎だ。このコンビの本なら、おもしろくないはずがない。

 脳のしくみを解説する部分もおもしろい。とくに「脳の視覚」の章で、「網膜絵画」(網膜に映った映像をできるだけ忠実に再現しようとした写実的絵画)にも、ブリューゲルとレンブラントの二通りのアプローチがあるし、「モジュール型絵画」では、ピカソやモネなどの絵画を紹介して、視覚というものを脳がどう処理しているのか、脳の機能として分類し、解説しているのが興味深い。

 しかし、メインは「脳」と「意識」の関わりだろう。「意識」というものを、最先端の脳科学は、どこまで迫ることができているのか。有機物質の塊から「生命」の誕生へ。ニューロンの情報処理から「意識」の誕生へ。そこには「男と女の間には、深くて暗い川がある~♪」以上の超えられない川があるのだ。研究者たちは「エンヤコラ今夜も舟を出す~♪」と研究に勤しむ(by.野坂昭如)。

 で、「脳のからくり」に戻ると、やはり「この木、何の木、気になる木」なのは、ペンローズの「量子脳」の部分だ。ペンローズの仮説とは……。

(ニューロンの骨格だと考えられていた)マイクロチューブルでは、量子力学の波束の収縮が起きており、それが意識そのものなのである。

 さっぱり、わから~ん;;

 やはり、「ペンローズの量子脳理論」を読まなくてはならないのだろうか……。

 「脳のからくり」は、わかりやすい一般書であるし、多くを求めるのは、筋違いというものだ。数ページの解説で「ペンローズの量子脳理論」を理解したとなると、ペンローズの立つ瀬もないだろう。かといって量子力学を解説されても、きっと、理解できないと思う。要は「クオリア」とか「意識」とかは、計算不能ってことだ。

 竹内薫センセは、この本で「すべての物質に意識が宿る可能性がある」と説く。たとえ、それが路傍の石であろうとも。

 東洋思想(仏教)では、八百万(やおよろず)の神という考え方があり、すべてのものに神が宿っている。神さまのインフレーション理論というか、このへんが一神教のキリスト教やイスラム教とは異なる文化だ。神を「宇宙を支配する法則」とするならば、路傍の石にまで及んでいるというのは、極めて整合性のある話のようだが、それは神の意思であって、石の意思ではない。

インターネットが意識を持つとき

 脳が物質からできていて、ニューロンの結びつきのネットワークから意識が生まれる。だとしたら、インターネットも意識を持ってもおかしくない。もっと単純なネットワークだって、極論すれば、サーモスタットにも、うっすらとした意識があってもいいはず?

 「インターネットが意識を持つとき」というのは、誰しも考えることでは、ないだろうか。つまり、ある出来事に対して、あるノード(ニューロン)が発火(反応)する。その連鎖によって、その情報が伝播する。「ホロン」的に解釈すれば、インターネットに接続している我々は脳のニューロンのようなもの。生命のヒエラルキーで言えば上部構造の一部であり、上部構造が何を考えているかなど、わからず、自律的に自分のブログに記事を書く。それは、生命を継続する一環の行為だ。しかし、そういった行為が、世論を形成し、地球規模でひとつの選択につながるとしたら、ネットワークの意思と呼べないだろうか。

 タヒチに住む作家が「子猫殺し」の記事を書いたら、地球のあちこちで、それに強く反応するブログが現れ、伝播していき、ネットワークの結びつきが強められる。伝播する力は強いものもあれば、弱いものもある。伝播する範囲も広いものもあれば、狭いものもある。

 「ワーム」のように急速に伝播し、広がるとネットワークが一時的に機能しなくなる。脳で言うと「てんかん」だ。てんかんは、ニューロンが次々と発火して、伝播していく。伝播を食い止めるには、情報伝達の基幹部分を遮断してしまえば済むが、それは「てんかん」治療に過去に行われた「ロボトミー手術」のようなもので、そんな乱暴なことはできない。健全なネットワークは「ワーム」の対抗策を講じ、それを広めていく。

 ひとつひとつのニューロンが考えているわけではない。強く反応するネットワークの関連性が意思を決定する、という考え方は、私にとっても魅力的な解釈に思える。

 しかし「意識」の発現は、そんなに簡単じゃないと思うんだよね。「有機物質」を集めても「生命」にならないように、「意識」が宿るためには、たんに情報回路の複雑さや量的な問題だけでなく、他者と隔てる境界が必要で、自律的に動けるしくみ、環境をフィードバックできるしくみ、自分を再組織化できるしくみが必要なんじゃないかな。つまり、生命の営みそのものって感じがする。

チューリング・テスト

 人工知能の研究は、コンピュータの登場とともに、1950年代から、すでに始まっていた。当初、脳がどのように働いて知能や意識を持つのか、ひとまず、置いといて、結果として、人間と自由に会話をして、コンピュータと見破られなかったら、知能があると認めてもいいんじゃないかという考え方があった。これが有名な「チューリング・テスト」というやつだ。

 もちろん、人間とコンピュータは別室で、キーボードを通して会話するわけなんだけど、こちらが、どんな質問をしても、スラスラと答えられるようなら、「コンピュータ」と「人間」をなかなか、判断できないかもしれない。しかし、この「チューリング・テスト」には、致命的な欠陥がある。本当はコンピュータが相手をしているのに人間と判断したら、コンピュータに知能があるというけれど、逆に、本当は人間が相手をしているのに、コンピュータと判断したら、その人間には知能がないという、とても失礼なことになってしまうからだ。

 人間と区別がつかないようなコンピュータの応答という、難しい問題も、ある状況を設定すると、非常に人間っぽく感じられることがある。それが、ジョセフ・ワイゼンバウムが作成した「イライザ」というプログラムだ。「イライザ」は、ロジャーズ派の精神分析家のマネをするプログラムで、自分のことは語らず、相手の言った言葉を文法解釈して、そのまま「おうむ返し」で応答する。どういう会話がされていたかというと……。

イライザ:こんにちは、私はラジオ精神科医のイライザです。あなたの悩みはなんですか?
ボク:あなたのことを知りたいんですけど。
イライザ:なぜそのようなことを聞くのですか?
ボク:仕事なんです。
イライザ:仕事があなたにとって、どんな意味があるのですか?
ボク:ボクはライターなんですよ。
イライザ:ライターのあなたが、なぜ私に相談を?
ボク:あなたの記事を書いているんですよ。
イライザ:今はあなたのことを話しているんですよ。私のことではなくて。
ボク:ばか。
イライザ:そうですか。
ボク:いい加減にしろ。
イライザ:そのことについて、もっと詳しく。

……と、イライザとの咬み合わない会話は延々と続く。

Mondo 「モンド・コンピュータ」(アスキー刊・1996年)から引用(私がアスキー時代に企画、編集した書籍)。引用記事は、金井哲夫/著「人工無脳の話」。サイエンスライター鹿野司氏の「アラン・チューリング」や「チャールズ・バベッジ」の話も収録。お勧めしたいのだが、すでに絶版……;;。入手は困難。

 で、今では、なんのことはない簡単な「イライザ」のようなプログラムでも、本気でハマってしまう人がいたようだ。記事タイトルの「人工無脳」は、パソコン通信時代の「チャット」で、本人が席を外しているときに、本人の代わりに応答するプログラムを総称したもの。「人工知能」ならぬ「人工無脳」ぶりを笑うプログラムなのだが、辞書を搭載するなど、さまざまなバリエーションが作られ、中には会話中、本気で怒り出す人もいて、「人工無能」の発言には「@」マークをつけるというルールもできた。

 「イライザ」が自分を語らず、相手に話させようというアルゴリズムなのに対して、「ラクター」は、1のことを聞いたら、10の答えが返ってくるような、とにかく自分の「薀蓄(うんちく)」を披露したがるプログラムだ。小説家のウイリアム・チャンバーレインが5年という歳月をかけて教育したというだけあって、その薀蓄は半端じゃない。ときには自作の詩まで披露する。

 で、このようなプログラムは、作者の知性や教養がいかんなく発揮されたものではあるが、これらのプログラムに「知能」があるとは言えない。

未来のふたつの顔

 人工知能の研究には紆余曲折があり、何度かのブームもあった。医療の「エキスパートシステム」や、職人芸を数値化する「ファジー理論」、進化するエレベーターに組み込まれた「遺伝的アルゴリズム」など、人工知能の研究によって、実現した技術も数多くある。しかし、それらのプログラムを組み込んだコンピュータに「意識」があると思う人はいない。

 初期の人工知能の研究から、コンピュータが意識を持つまでの過程をエキサイティングに、かつ丁寧に描いた、J・P・ホーガンの「未来の二つの顔」というSF小説がある。たとえば、この本の中で、コンピュータに「人間を傷つけてはいけない」ということを教えるのに「ただし、髪の毛や爪は切ってもよい」など、人間にとっては、当たり前の常識をコンピュータに教えることが、いかに大変かということが描かれている。もちろん、これは導入部分。高度な推論機能を有したコンピュータに人間の生活全般を支配するシステムを任せていいものか、どうかというのが、この小説のテーマだ。

 事の起こりは……書くのが面倒なので、「wiki 未来の二つの顔」で検索してね。

 で、竣工中のスペースコロニー「ヤヌス」に、推論型コンピュータを組み込み、安全を維持するすべてのシステムの管理をまかせる。人類は、わざとスペースコロニーの回転軸に爆薬をしかけたりして、予期できぬ突発的に起きる事態に対処できるかどうか、動作の信頼性を検証しようとするんだよね。

 ところが、スペースコロニーに設置された人工知能からすると、わけのわからん、予想外の事態が次々と起こる。その原因を探ると、自分が管理している以外のところから(自分が関与できないところから)攻撃をしかけられていることに気づく。はじめて、自己と、自分以外の他者の存在を認識する。自我に目覚めるのだ。

 でも、なぜ、攻撃をしかけてくるのかわからない。とにかく自分の使命は、コロニーの安全を維持することなので、自分の安全を脅かす存在は無視できない。自衛のために戦わざるを得なくなる。

 さあ、自我に目覚めた推論型コンピュータと人類の「明日はどっちだ!」

 「未来の二つの顔」は星野之宣によって漫画化(ミスターマガジン1993-1994)。2002年には文庫になっているようだ。

未来の二つの顔
未来の二つの顔

著者:J.P.ホーガン,星野 之宣
販売元:コミックス


中年妄想族(1)

ガレージから久々に「MVアグスタF4-1000S」を引っぱり出し、イタリア郊外の古い街並みを軽く流す……。

Tt01

「欧米かっ!」
というのは妄想で、私の大好きなゲーム「ツーリスト・トロフィー」のフォトモードで撮影。

Tt02

この「MVアグスタF4-1000S」の特徴は、後方にきれいに並ぶ、4本の排気管。この姿に見覚えのある方もいるだろう。そう、映画「アイ・ロボット」で主人公のウィル・スミスが乗っていたバイクだ。ヒロインのブリジット・モイナハンが「え、このバイク、ガソリンで動くの?」「爆発しない?」って言っていたやつだ。
「欧米かっ!」

Tt03

「鶴瓶かっ!」

中年妄想族(2)

Tt04

美麗な3Dグラフィックを描いてくれる「ツーリスト・トロフィー」のフォトモードだが、バイクに重なるようにして転倒すると「遊星からの物体X」みたいになっちゃう。

中年妄想族(3)

今日はタンデム日和……。

Tt05

Tt06

Tt07

Tt08

「裕二って誰ですか!」
「16年前にこの兄弟に何があったんですか!!」

「しらない……」

負け犬と、勝ち犬?

 世の中には「勝ち組」と「負け組」のような、二項に分類するのが好きな人が多いようだ。似たような分類として「金持ち父さん、貧乏父さん」や、古くは「マル金、マル貧」などがある。

 「負け犬」は、未婚、子ナシ、30歳以上の女性、「勝ち犬」は、既婚、子供ありの30代女性という分類もあるね。でも、「負け犬」という言葉はあるけれど、「勝ち犬」という言葉は、あまり聞かないような……。

Mutugorou

 象のオシッコも飲んで確かめるし、ライオンに指を噛み切られても、ライオンのことを心配する、畑 正憲氏(通称、ムツゴロウさん)によると、「負け犬」とは、「群れに対して『腹』を見せられない犬のことです」と定義する。つまり「お腹」は、非常にやわらかく、重要な臓器があるため、咬まれると致命傷になってしまう。しかし、群れに対して、そのウィークポイントである「腹」をさらけ出すことで「私は群れに属しますよ、私の命は群れに預けますよ」という絶対服従の意思表示をする。これができるか、できないかで「負け犬」が決まってしまうと言う。

 「負け犬」は、群れの一員として、自分の弱点「腹」を見せることができない。当然、群れからは弾き出され、疎外され、孤立して生きることになる。厳しい自然の中で生きていくため、犬社会では、群れと行動を共にし、群れの中で生きていくほうが圧倒的にリスクが少ない。なぜ、負け犬は自分の腹を見せることができないのか。それは、咬まれたら命はないという恐怖だ。他者(他犬?)を信用できない疑心暗鬼の心だ。それを克服できない犬は「負け犬」となってしまう。

 ところで、どの組織に属さず、自分の力だけで生きている人のことを自称、他称も含め「一匹狼」などと言う。犬も狼も群れで行動する動物で、その点では「負け犬」も「一匹狼」も意味合いとしては同じものだ。しかし、受け取るイメージとしては、大きく違う。「一匹狼」というと、自らの意思で群れに与せず、自らの力を信じ、たったひとりで生きていくパワーを感じる。いっぽう「負け犬」は、自らの意思とは関係なく、他者から貼られるレッテルで、最初から負けちゃっている感じがする。生態系としてのルーツは、ごく近いはずなのに「狼」は、人間界とは相容れぬ存在で、孤高の存在というイメージ、「犬」は人間に飼いならされ、飼い主には尻尾を振りまくり、権力には絶対服従で逆らえない、権力にへつらうイメージがある。コイズミも髪型こそ、ライオンヘアだが、そのじつ、ブッシュの忠犬ポチなどと揶揄されている。なぜ「犬」と「狼」では、こんなにもイメージが違うのだろうか。

 犬社会では、群れの中でも階級のランク付けが行われる。人間と共生し、愛玩動物となった犬だが、自分が所属する群れの中でランク付けをすることを忘れてはいない。犬は人間に飼われていても、その家族の中の力関係を判断して、自分のポジション(ランク)を認識する。いつも犬のエサを用意し、世話をしている奥さんの言うことを聞くのかと思えば、全然、世話をしていない夫の言うことを優先的に聞いたりする。

 で、ひとつの基準となるのが、食事の順番だ。犬や狼の社会では、群れの中でポジションが高い犬が、先にエサにありつける。ポジションの低い犬は、その間、がまんして待っている。会社で残業して帰りの遅い夫は、家族の中で、一番最後に食事をとる。そんな状況を犬はちゃんと見ている。たまの休みぐらい、寝坊したいと思っても、じゃま者扱いをされている夫を犬は見ている。夫の家族の中のランクは下がるばかりだ。

 ペットを愛するあまり、生活の中で犬を優先するようになると、群れの中で自分がボスだと認識する「勘違い犬」も登場する。家族を自分を世話する僕(しもべ)として勘違いしちゃうわけだ。だからボスである自分の気に食わないことをすれば、「ボスに対して、なにをするんだ!」と咬みつく。つまり「飼い犬に手を咬まれる」のは、ちゃんと犬と接していない飼い主の責任なのだ。なんだか、犬社会だけでなく、人間社会でも少子化で「ひとりっ子」のため、大事に育てられ、欲しいものは何でも手に入る子供たちにも「勘違い君」がいるような気がする。

 さんざん、犬の悪口を書いてきたが、私はけっして犬が嫌いなわけじゃない。盲導犬や、介助犬、麻薬捜査犬や警察犬など、その献身的な働きぶりや、嗅覚をはじめとする優れた能力には感嘆する。犬は人間にとって、何ものにも代えることのできないパートナーと成り得る。盲導犬のドキュメンタリー番組などを見ると、思わず、号泣してしまうことがあるくらいだ(歳をとると涙腺も緩むみたいだ)。

 そんな犬の能力の一端として、「これはスゴイ!」と思ったのが、「がん」を嗅ぎ分ける犬だ。犬は飼い主の身体の不調や病気を知るという話は聞いていたが、人間の吐く息だけで、「がん」に患っているかどうかを嗅ぎ分けることができるというのだ。それも「早期がん」まで。トレーニングを積むことで、最先端の医療システムに勝るとも劣らない確率で嗅ぎ分けるという。とゆーか、逆に犬の優れた能力に着目し、科学的に分析することで、人間の吐く息で「がん」を検知するシステムの研究も進んでいるらしい。

OJPC福祉犬育成協会

 話はダックスフンド……あれ、思ったほど、語感が似ていない;;。あらためて話は「ダッフン」じゃなくて、脱線するが、救急車のサイレンに犬が反応して吠えることは、よく耳にする。「SPA!」には「バカはサイレンで泣く」というコーナーもあったくらいだ。私の住んでいる地域では、昔ながらに「ト~フ~♪」というラッパの音とともに、豆腐屋さんが、時折やってくる。もちろん、豆腐はパック詰めされたものだが……。すると、豆腐屋さんの「ト~フ~♪」のラッパに合わせて、近所の犬たちが「Yo~Yo~♪」とラップを踊るわけがなく、「ア~ウォ~ン♪」と音程を微妙に合わせて吠える。バカ犬だなぁと思いつつ、思わず、微笑んでしまう。自分もバカ犬に共鳴して、なんとなくハッピーな気分になる。「負け犬の遠吠え」ではなく、「飼い犬の豆腐吠え」ということで、おあとがよろしいようで……(すまん、おあとに、よろしくないオヤジ臭が漂ってしまった;;)。

 駄文を書きながら、テレビ朝日の「ワイドスクランブル」に出演する、小飼弾氏を拝顔しようと思ったのだが、もう酔いが限界……。