■書籍:博士の愛した数式

 映画の「博士の愛した数式」は、CSで度々放送されたし、それを録画したので、もう何度も繰り返し観ていたけれど、あらためて、小説「博士の愛した数式」を読んだ。

 もっと「博士の愛した数式」の世界に浸かりたいと思ったからなのだが、映画では、博士と義姉の関係と、そもそも、博士が80分しか記憶が持続しない、脳の傷害を受けることになる、交通事故については、あまり触れられていない。ひょっとして、小説では、もう少し詳しい描写があるのかなぁ……と、爺は思った次第。

 で、結論から言うと、博士と義姉に何があったかは、ワイドショーに毒された爺の低俗な興味であって、物語の中核ではない。あえて曖昧にして、読者の想像を掻き立てる構成になっている。そのあたりのことを詳細に描くと、かえって、小説のテーマから離れ、生々しくなってしまうからか……。むしろ、映画のほうが一歩踏み込んでいるという印象だった(映画では、オイラーの公式の変化に注目^^;)。

 映画の「博士の愛した数式」は、とても良く、忠実に小説の世界観を表現している。しかし、違いもある。一番の大きな違いは、語り部の違いだ。映画の語り部は、中学校の数学の教師となった「ぼく」である。映画のオープニングは、中学校で「ぼく」が初めての授業をするシーンから始まる。博士を追憶し、物語を語る部分と、数学用語が登場したときに、中学生たちに、わかりやすく説明する授業風景がリンクする。

 いっぽう、小説の語り部は、80分しか記憶が持たない博士の世話をすることになった、あくまでも家政婦の「私」。「私」の視点から、「私」の感性で見ることで、映画のほうを先に見た爺にとっては、また違う趣きを持って物語を追うことができた。

 「私」は、物心がついた頃には、すでに父親の姿はなかったし、18歳で結婚ができぬ人との子供を宿し、産む。そして、無知で孤独な「私」にできることといったら、家政婦の仕事(誰よりも、テキパキとに仕事をこなし、家政婦という仕事に誇りを持っている)で、10歳の息子を育ててきた。

 「私」が18歳で、子供を産んだとき、新生児室に並んだベッドの中の自分が産んだ赤ん坊を見て、「赤ん坊は握りしめていた手を開き、またぎこちなく指を折り畳んだ。爪は理不尽なほど小さく、青黒く変色していた。私の粘膜を引っ掻いた血が、爪の間で固まって濁っているのだだった。」という表現は、生々しいとゆーか、爺には、想像できないリアリティがある。

 さらに「子供の爪を切ってやってほしいんです。元気に手を動かすものですから、自分の顔を傷つけるんじゃないかと心配で……」と詰め所に訴える自分を冷静に「あの時、私は、自分が優しい母親であることを自分自身に見せようとしていたのだろうか」と冷めた目で自己分析する。

 18歳で子供を産み、喜びよりも、これから先々の不安と恐れのほうが大きかったのだろう。そうして、家政婦の職を得て、息子とのふたり暮らし(母親との確執も描かれている)。でも、愛情を注ぎ、息子は素直に育つ。それでもなお「私」からすると、「抱擁されることが少ない赤ん坊だった」と、息子に対して、申し訳ないという感情が見え隠れする。

 でも、たまたま(とゆーか、「私」が家政婦として優秀だったため)、「博士」の世話をする仕事が舞い込む。これまで、多くの家政婦は、博士は、80分しか記憶を保持できないため、博士を理解できず、長く仕事を続けることができなかった。でも「私」にとっては、ちょっと違っていた。「博士」は、「私」の息子を抱きしめ、「賢い心がいっぱい詰まっていそうだ」と頭をぐちゃぐちゃになでる。数式を愛する時間よりも、「私」の息子と接する時間を優先してくれるのだ。

 「私」にとって、博士は、自分の息子の絶対的な庇護者となり、決して流れない、静かな時を積み重ねていく。この「博士」と「息子」と「私」の三角形……どんなに形を変えても、内角の和は180度である。小川さんは、「『三角形の内角の和が180度である』という一行が持っている永遠の真理は何物にも侵されない。文学や詩の一行でも表現できない、永遠の真理の美しさがある」と言う。

 「博士」は、朝、目覚めると、事故に遭う前の習慣として、背広を着る。しかし、その背広には、クリップで留められたメモがたくさん付いている。「ぼくの記憶は80分しか持たない」というメモを見て、人生を一変させる衝撃的な事実、その現実と毎日、毎日、繰り返し、繰り返し、向き合わなければならない。だから、通常のコミュニケーションは成り立たない。日々の情報の共有がコミュニケーションを築くのだから。自分で描いた似顔絵入りの「新しい家政婦と10歳の息子」というメモを目にしても、家政婦の「私」とは、いつも初対面だ。

 「博士」が、靴のサイズを訊ねたり、誕生日を訊ねたりするのは、「博士」なりのコミュニケーションの術だ。80分しか記憶が続かない自分にとって、数学だけは不変で普遍だ。

 そんなわけで、この物語には、数学的な表現である「友愛数」や「完全数」などの言葉が登場する。その昔、「ピタゴラス学派」は、「万物は数」として、いろんな数に名前をつけた。「友愛数(amicable number)」は、自分自身を除いた約数の総和が互いに相手の数になるような、数の組み合わせだ。たとえば、220と284ならば、

220 : 1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
284 : 1+2+4+71+142=220

という具合だ。自分自身を除いた約数の総和が自分自身と同じ数になるのは「完全数(perfect number)」という。一番小さな完全数は、「6」だ。6:1+2+3=6

 家政婦の「私」は、手計算で次の友愛数を見つけようとするのだが、簡単には見つからない。そこで、爺もマネをして、友愛数と完全数を探してみた^^;

※Flash8ソース(amicable_number.zip

 とにかく小さい数から順番に、自分自身を除く約数を足し合わせ、その総和の数の約数をまた足して……というふうに、ものすごく愚直な方法で探す。自分で計算することを考えたら気が遠くなっちゃうけれど、とりあえず、指示さえすれば、Flashが黙々と計算してくれる。しかし、1~10000までの範囲でさえ、数分かかってしまう><;探す範囲を1桁上げるだけで、数時間はかかるだろう。また、あまり大きな数になると、倍精度計算では、桁があふれ数値が丸められてしまう。

 今回は、長桁計算ができる「UBASIC」を使ってみようと思ったが、VISTAでは、文字化けするという、ありがちな展開で断念。こんなときは、やっぱり「Maxima」にたよるしかない。

Maximaでメルセンヌ素数を表示する
メルセンヌ素数

 メルセンヌ数(Mersenne number)は、2のべき乗から1を引いた数で、とくに(2^n-1)が素数のとき、メルセンヌ素数になる。「Maxima」で、素数かどうかを判定するには、primep()を使えばいいらしい。たとえば、primep(5)とすれば、trueとなり、primep(6)とすれば、falseとなる。これを利用して、メルセンヌ素数を表示してみた。

Maximaで完全数を表示する
完全数

 完全数は、2^(n-1)*(2^n-1)の形で表すことができるので、nに順に素数をいれて、完全数を表示する。

Maximaで友愛数を表示する
友愛数

 友愛数については、サービト・イブン=クッラ (826~901年)の関係式がある。
p=3*2^(n-1)-1
q=3*2^n-1
r=9*2^(2*n-1)-1 としたとき、
(2^n*p*n)と(2^n*r)は、友愛数になるというものだ。ただし(n≧2)、また、この式は、すべての友愛数の組に対して成立するわけではない(※抜け落ちてる友愛数がいっぱいある)。

 素数が無限に存在するなら、友愛数も無限にあると直感的には思うが、奇数どうしの友愛数は見つかっておらず、未解決問題のようだ。つまり、奇数どうしの友愛数は存在しないという証明もできていないということなんだよね(およそ、数学とはほど遠い、爺のもの言いだ;;)。

爺の≪Maxima備忘録≫
(Maximaにこんなコマンドがあったのか篇)

すべての約数と総和を表示する
約数

ユーザー関数(isPerfect)を定義
ユーザー関数

1~1000までの完全数を表示する
完全数

 整数論といえば、素数が重要な位置を占めているけれど、その素数もわからないことだらけ。3と5、5と7、11と13のように、偶数を挟んで、差が2しかない「双子素数」も、無限にあるかどうかは、証明されていない。「6以上の偶数はすべて、ふたつの素数の和で表すことができる」という「ゴールドバッハの問題」も、直感的には誰しも正しいと思っているが、未だ証明されていない。

Ogawa_01

 1から100刻みで、10000までの範囲にある素数の個数をカウントしてみた。数が大きくなるに従い、素数の数は減少していく傾向にあるが、規則性があるとは思えない。もっとも、爺にわかるような規則性があったら、世の数学者は悩み無用、ふさふさと毛が生えてくるだろう。
 ダメだ……。はじめは「博士の愛した数式」の静かな時間に感銘を受け、その世界観に浸っていたのだが、いつものおちゃらけの時間になってしまった><;

 小説には登場して、映画ではカットされてしまった「三角数」は、「世にも美しい数学入門」に詳しい。約数ではなく、奇数を足し合わせていくと、必ず「四角数」になるといった話も、興味深い。でも、今日は、このへんで、おしまい。

博士の愛した数式
博士の愛した数式
小川洋子/著
新潮文庫

世にも美しい数学入門
世にも美しい数学入門
藤原正彦・小川洋子/著
筑摩書房(ちくまプリマー新書)