■書籍:ぼくと1ルピーの神様

 「事実は小説よりも奇なり」と言う。どんな波乱万丈な人生を描いた小説も事実には勝てないという意味だが、どんなに唐突であっても、確率的にめったに起こらないような出来事でも、現実に起きた事柄に対しては、それを受け入れるしかない。しかし、小説では、そーはいかない。貧乏で無学な青年がクイズ番組に挑戦して、見事、全問正解して、高額な賞金を得る。青年はどうして、すべての問題に答えることができたのか。たまたま、その答えを知っていたから……。こんな、ご都合主義の小説を読んで、あなたは、面白いと思うだろうか?

ぼくと1ルピーの神様
ぼくと1ルピーの神様
(ランダムハウス講談社文庫)
ヴィカス スワラップ/著
子安 亜弥/訳

 ところがである。「ぼくと1ルピーの神様」は、いったん、読み始めると、止めることができなくなるほど、物語に引き込まれてしまう。文庫で400ページを超える本を、最後まで一気に読んでしまった><;

 この「ぼくと1ペニーの神様」は、4月18日から全国ロードショーされている映画「スラムドッグ$ミリオネア」の原作本だ。「アカデミー賞の作品賞をはじめ最多8部門受賞!」と帯に書いてあるが、爺は、映画のほうは、まだ観ていない(だって、ひきこもり爺なんだもの^^;)。映画を観る代わりに原作本を読んだわけ。

 「スラムドッグ$ミリオネア」は、世界各国で放映され、日本でも、みのもんたが司会をしている「クイズ・ミリオネア」を題材にしている。しかし、賞金額は、10億ルピー。2009年4月20日の時点での為替レートは、1ルピー、約2円なので、賞金額10億ルピーは、20億円ということになる(もちろん、この物語は小説、フィクションである)。

 冒頭に「事実は小説より奇なり」と書いたが、たとえば、小説の主人公が悪者なり、警察なり、どちらでもいいけれど、拳銃で頭を撃たれる。しかし、数か月後には、主人公は見事な復活を遂げる。主人公の頭蓋骨を砕いた弾丸は、頭蓋骨の内側に沿って1周し、脳を傷つけることなく、射入口から再び出ていった……なんて書いたら、誰もが納得しないし、読む気が失せて、途中で放り出してしまうだろう。でも、現実にそーゆー事件が起きたことを紹介したテレビ番組を爺は見た記憶がある。へぇ~、万に一つの、そんな奇跡みたいなこともあるんだって感じだけれど……。

 でも、小説は、最初の1行で世界を作ってしまうことができるんだよね。そして、いったん世界が作り上げられると、その世界で整合性が取れている限り、読者はそれを受け入れる。「ぼくと1ペニーの神様」の最初の1行は、こんなふうに始まる。

「僕は逮捕された。クイズ番組で史上最高の賞金を勝ち取ったのが、その理由だ」

 誰もが、貧乏で無学な青年が、難しい問題に全問正解するような奇跡が起こるとは思わない。そこには、何らかの不正があったのではないか? とくに番組製作会社は、センセーショナルな賞金額で視聴率を稼ぎ、それで広告収入を得て、資金を貯め込む気でいた。ところが、番組スタート早々に全問正解者が現れてしまった。だから、警察の力を借りて、賞金を支払わなくても済むように、青年の不正を暴きたい。でも、録画VTRには、不正を働いた証拠はない。奇跡は、すでに起こってしまっているのだ。

 読者の興味は、なぜ、この青年は、問題の答えを知っていたのかに移る。それを知るには、この18歳の青年が歩んできた人生を一緒に追体験することになるのだ。そして、それこそが、巧妙なプロットを張り巡らせた、作者の書きたかったこと。つまり、1行目を読んだ時点で、読者は作者の術中にはまってしまう。

 そこには、大国インドが抱える、さまざまな問題が浮かび上がってくる。

 主人公の名前は「ラム・ムハンムド・トーマス」。ラムは、典型的なヒンドゥー教徒の名前で、ムハンムドはイスラム教徒、トーマスはキリスト教徒に多い名前らしい。主人公は、母親の顔も、父親の顔も覚えていない、孤児院の前に捨てられていたからだ。

 物語は、主人公が8~18歳のおよそ、10年間に起きた事柄で、現実のインドに重ね合せると、たぶん1990~2000年頃の話。日本では、バブル経済の絶頂期から、バブルが弾け、それに続く、失われた10年の時代。

 爺のイメージでは、天才数学者のラマヌジャンを生んだインドであり、「Windows VISTA」の開発の多くが、インドのIT企業にアウトソーシングされたことなど、IT立国インドのイメージもあるけれど、一方で、貧困にあえぐスラムが存在し、満足に義務教育も受けられない階層の人々がいることも、メディアを通して知っている気になっている。中産階級の親たちは、自分たちの苦労は、子供にしはしてもらいたくないと、教育熱が加速し、競争も激化しているとメディアは伝えている。

 舞台となる年代を確認したのは、この小説を読んで「いったい、いつの話よ」と思うくらい、酷過ぎるエピソードが続くからだ。ソニーの32型テレビや、ニンテンドーのゲームや、プレイステーション2とか、カシオのデジタルウオッチが登場するたびに、日本に生まれ育った爺は、物語の主人公が置かれている立場と、爺の体験の差異を再確認することを迫られた。

 爺は、この小説の最初の1行の書き出しを「すばらしい」と絶賛したが、最後の1行にも注目してほしい。エピローグではない、第12章の最後の文章だ。一気に読んで、爺も高揚していたのかもしれないが、最後の1行を読んだとき、爺は、思わずうるうるしてしまった(もっとも、歳をとると、あらゆる腺がゆるんでくる;;)。最後の1行、それは、作中の人物に語らせた、作者の心から出た言葉だと思うんだよね……。

 というのは、作者の「ヴィカス・スワラップ」は、インド北部のウッタル・プラーデッシュ州の生まれで(といっても、爺にはピンとこないが)、弁護士の家庭に生まれ、かなり、エリートだ。大学を出たあと、外交官になり、トルコ、アメリカ、エチオピア、イギリス……南アフリカに赴任しているという。生まれた育ったインドを冷静な目で外から眺めることができた人物だと思う。その思いを最後の1行に重ねてみてほしい。

 で、「映画」のほうの出来は、どーだったのだろう?

ぼくと1ルピーの神様
ぼくと1ルピーの神様
(ランダムハウス講談社文庫)
ヴィカス スワラップ/著
子安 亜弥/訳

“■書籍:ぼくと1ルピーの神様” への1件の返信

  1. 映画「スラムドッグ$ミリオネア」に出演した、アザルディン・イスマイル君(主人公の兄サリームの幼年期の役)や、エキストラ出演した子供たちは、映画出演後もムンバイ市内のスラムで暮らしていた。しかし、市当局は、違法建築として、住居を強制撤去したというニュースが流れた。
    マハラシュトラ州は、アカデミー賞受賞後、イスマイル君と、同じスラムに住む、ヒロインの幼少期を演じたルビーナ・アリちゃんに住居を提供すると約束していたらしいが、約束は反故にされた。今回の強制撤去後も、新たな住居を提供するとしているが、実現するかどうかはわからないようだ。
    それにしても、アカデミー賞という華やかな舞台と、スラムで住む家さえ奪われた少年。あまりの隔たりを感じる。
    ネットで「ぼくと1ペニーの神様」の著者インタビューを読んでいたら、「Hole-in-the-Wall」というプロジェクトがあったそうで、デリーにあるIT系の工科大学の隣はスラムで、文字通り、壁に穴を開け、そこにコンピュータを設置したところ、2、3か月後には、何も教えていないのに、子供たちはコンピュータを使っていたという。
    「アンダードッグ」(負け犬)が勝利を手にする……というのは、やはり、夢物語なのだろうか。
    著者、ヴィカス・スワラップ氏の本職は外交官で、この「ぼくと1ペニーの神様」がデビュー作だ。赴任先の南アフリカから、今年の夏には、日本の大阪総領事として赴任するそうだ。

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