「天保と言えば、今から160年前、江戸末期。いったいどんな挑戦なのでしょうか。てぇへんだ~、てぇへんだ~」と、戸部アナのオープニングで始まった「たけしのコマ大数学科」

今回、悩殺シスターズの生駒尚子さんと山田茜さんのニューコンビで挑戦。小橋りささんは、お休み。さっそくいってみよう。
コマ大数学研究会の向かった先は、有名進学校や算数オリンピックにたくさんの生徒を輩出したという、小中高一貫しての理数系専門塾「エルカミノ」。エルカミーノとは、スペイン語で「道」を意味するらしい。
小学生たちに問題を解いてもらい、その解答用紙をスタジオに持ち込むコマ大生。ところが、途中までの式は書いてあるものの、誰も最終的な答えを書いていない。あせるコマ大生。マス北野が「これ出来てるじゃん」と横やりをいれる。コマ大生の答えは……。
20+x:10+x=10+x:10
200+10x=(10+x)(10+x)で
「2 ぺ」
確かに生徒のうち、ひとりの解答用紙には、「2 ぺ」と書いてあるのだが、なんのことなのか意味不明だ^^;(じつは、小学生では二次方程式の解法は習わないので、式を立てるだけでいいようだ)。※コメント参照
マス北野とポヌさんの答えは「5(√5-1)」。今回はポヌさんがフリップを出し、説明を行った。
東大生、生駒尚子さん、山田茜さんの答えは「-5+5√5」。三角形の相似を利用し、二次方程式の解の公式を用いて、答えを出した。

今回は、ポヌさんも、東大生も同じ答えで、解法もほとんど同じだったので、省略する。
■中村亨センセの「美しき数学の時間」で正解を発表しよう。


ポヌさんは、問題図に「黄金比」が隠されていることを見抜いていた。

というわけで、コマ大フィールズ賞はポヌさんが獲得した。
さて、中村亨センセのちょっといい話は、「和算」について。和算では二次方程式を解くことを「平方に開く」と言っていたらしい。驚きなのは、三次方程式や四次方程式を解く方法を「天元術」と呼び、江戸時代に解いていたということ。
この「天元術」は、関孝和(1640年頃~1708年)が中国で12世紀に考え出された方法を発展させ、完成したらしい。有名な数学者オイラー(1707~1783年)は、去年「生誕300年」だったが、関孝和は、今年「没後300年」だ。中村亨センセによると「ヨーロッパで『天元術』と同じ方法が発見されたのは、100年以上経ったあと」とのことだが、16世紀のイタリアで、スキピア・デル・フェロ(1465~1526年)や、ニコロ・フォンタナ(1500?~1557)別名:タルタリアが三次方程式の解法を発見したんじゃなかったけ……。
三次方程式にまつわる話は、ひとつ前のエントリで紹介した「数学の遺伝子(小島寛之/著)」にも出てくる。また、「異説 数学者列伝(森 毅/著)」や「魔術から数学へ(森 毅/著)」、「数学の歴史(森 毅/著)」にも詳しい。
以下、これらの本の受け売りだが、フォンタナは子供のときに、戦争で父親がフランス軍の兵士に殺され、自分も舌を切られてしまう。それでうまく発音できず、タルタリア(吃音の意味)と呼ばれ、それが通称となる。当時、イタリアでは、数学は「自然魔術」とみなされ、多額の賞金を賭けた公開試合が行われていた。
デル・フェロの発見した三次方程式の解法は、公開されず、弟子たちに受け継がれた。弟子のひとり、アントニオ・マリア・フィオルは、数学の公開試合で勝ち続けたという。いっぽうフォンタナは自力で数学を学び、デル・フェロの解法にも、たどり着いたという。
フォンタナが三次方程式の解法を発見したという噂を耳にしたフィオルは、これを信じず、フォンタナに勝負を挑む。でも、フィオルは、デル・フェロの解法しか知らなかったため、負けてしまう。
カルダノの公式で馴染みのある、ジェロラモ・カルダノ(1501~1576年)は、フォンタナに頼み込み、絶対に公表しないという約束で、三次方程式の解法を教えてもらう。しかし、のちにパドヴァ大学正教授になると、この約束を破り「大学術(アルス・マグナ:1545年)」にフォンタナ(タルタリア)の秘術を公表してしまう。怒ったフォンタナは、カルダノに数学勝負(公開試合)を挑むが、のらりくらりとかわされ、結局、勝負に来たのは、カルダノの若き弟子、ルドヴィコ・フェラーリ(1522~1565年)だった(※註:小島寛之センセは「フェラルリ」と表記)。で、当時45歳だったフォンタナは、23歳のフェラーリに負けてしまうのだ。フェラーリは四次方程式の解の公式を発見した数学者として後世に名を残す(この公式もカルダノが公表した^^;)。
こう書くとカルダノは、ずいぶん悪い人のようだが、自分の功績として発表したわけではなく、ちゃんと、デル・フェロやフォンタナの名前を載せ、功績を称えているのだ。フォンタナが怒ったのは、公開試合でお金が稼げなくなるという商売上の理由からかもしれない。
江戸時代の算法好きの少女を描いた小説「算法少女(遠藤寛子/著)」の主人公「千葉あき」は、実在した人物。この物語の中で、あきの父親「千葉桃三」は、円周率を導く方法を「秘中の秘」として公表しない。あきは、算法が流派や身分に縛られていることや、秘伝として公開しない父親の姿勢にも疑問を感じる。
関孝和は、和算を広めた第一人者で、日本のオイラーとも呼べる人だ。中村亨センセによると、関孝和の三次方程式の解法は、f(x)=0になる点の値を得るという方法で、詳しい解説はなかったのでわからないが、現在のコンピュータで答えを求める方法に似ているとのこと(ホーナー法:wikipedia)。デル・フェロやフォンタナの解法とは、別の解法で、これがヨーロッパで発見されたのが、100年後ということかもしれない。
中村亨センセが和算に登場する用語を紹介していたので、メモしておこう。
《和算用語》
鱗形(うろこがた)=二等辺三角形
勾股弦(こうこげん)=直角三角形
厚幅竪(こうふくじゅ)=四角注
四方底無(しほうそこなし)=四角錐
立円(りつえん)=球
九因(きゅういん)=九九
割円表(かつえんひょう)=三角関数表
雉兎問題(きじうさぎ)=鶴亀算
不尽数(ふじんすう)=無理数
とくに最後の「不尽数」は、無理数より、よいネーミングだと思う。どこまで行っても数え尽くせない数というイメージがわくよね。有理数(rational number:理にかなった数?)に対し、無理数(irrational number:理にかなっていない数?)なんだろうけど、いったい何が無理なの? どこが理にかなっていないの? という疑問符が付き纏うんだよね、なんとなく。和算で虚数(imaginary number)は、何と呼ぶのだろうか……?? ※コメント参照
※コマネチ大学数学科の「過去問題」はこちらから。
■コマネチ大学数学科:2006年度全講義リスト
■コマネチ大学数学科:2007年度全講義リスト
![]() 異説 数学者列伝 森 毅/著 ちくま学芸文庫 |
![]() 魔術から数学へ 森 毅/著 講談社学術文庫 |
![]() 数学の歴史 森 毅/著 講談社学術文庫 |
![]() 算法少女 遠藤寛子/著 ちくま学芸文庫 |
↑爺、イチオシの小説。面白いので、ぜひ読んでみてね^^;
はじめまして。小島先生のブログで拝見して、やってきました。私は、先生の初期の本は、有り難い事に図書館で借りて読んでます。
さて、余計な事ですが。
2次方程式の解の公式は、進学塾に行っている小学生なら使いこなせる筈です。同僚のお子さん(四谷)がそうですから。なので、あれは番組上の演出と思いますよ。
天元術は方程式の解を数値で求める方法で
代数的に求める方法じゃありません。
つまり近似値を求めるので何次方程式でも天元術なら求められます。
追加です。
有理数のrationalはratio(比)の意味です。つまり比=分数で表せるということです。
よく有比数、無比数と訳す方が正しいといわれています。
たけしのコマ大数学科#104
たけしのコマ大数学科#104(番組的には102回)
(旧名称・たけしのコマネチ大学数学科)
フジテレビ 2008年9月04日 深夜OA
今回のテーマは、
「天保からの挑戦」
DVDBOX第2期発売:2008年07月16日
【New!! DVD】
たけしのコマ大数学科
DVDBOX 1
¥…
金さん、ヌルハチさん、コメントありがとうございます。
>>金さん
あそこまで、式を立てて、解けないはずないですね^^; 「小学生では二次方程式は習わないので、解を求めるところまで要求されない。解けなくても、なんら問題はない」と、出演した小学生の名誉を守るつもりで、書いたんですけれど、逆に名誉を傷つけるような表現になってしまいました。あきらかに番組上の演出ですよね。
>>ヌルハチさん
中村亨センセの「コンピュータで答えを求める方法と似ている」と言ったのは「解を数値(近似値)」として求めるということだったんですね。納得です。
有理数のrationalは(比)の意味だというのを、どこかで読んだのを思い出しました。爺の無知、恥をさらしておくために、記事は修正せずに、このままにしておきます><;
金さん
いやいくらなんでも中学入試で
二次方程式は出題されません。
同僚のお子さんは公文で二次方程式の
解の公式を習ったんじゃありませんか?
公文では、そこまでやりません。四谷でした。
入試の出題範囲には関係無いのか、単に問題をやり尽くしたからなのか、おおよそ、中学2年の内容までは終えてました(全部ではないです)。
勿論、一般クラスじゃなかったんですけど。
金さん
いやあ驚きました。四谷は特別なんですかね。中学受験に全く関係ないことを教えるなんて。カリキュラムがそうなってるとは思えません。
そのお子さんがよっぽど算数ができるんで個人的に特別に教えたんじゃありませんか?
ちなみに二次方程式の解の公式は高校1年で習います。(以前は中3で習いました。)
有理数、無理数の『理』は、『ことわり』の意味で使われており、歴史的背景があってそう呼ばれています。
こんにちは。いつも拝見しています。
「算法少女」読んでみました。主人公のあきがどこまでも一途で、素敵ですね。他の登場人物もみな、魅力的です。
自分は塾講師をしていますが、こんなに一途な生徒には、今時なかなか出会えません。まして「一途」の相手が「算法」となると、まれな存在でしょう。(身近にいるのに、僕が気付いてないだけかもしれません)
僕自身も、他の講師の活躍をねたましく思ったり、たいしたことのない自分の知識をもったいぶってみたり・・・という経験があり、ちょっと恥ずかしく思いました。
身近にいる「あき」に、「ちょっと違うんじゃないかしら」と思われているかもしれません。
次は「異説 数学者列伝」を読んでみようと思います。
MASAさん、ベスさん、コメントありがとうございます。
>MASAさん
英語の「rational」は確かにラテン語の「ratio」から来ているのですが、ラテン語の「ratio」には「reason」という意味があるんですよね。つまり、「比」は「理(ことわり)」ということになります。
西欧では「黄金比」のように、「比」と「美」はかなり、密接な関係で、それが「宇宙の摂理、自然の理(ことわり)」と考えていたフシがあります。余談になりますが、「黄金比=美」とする、書籍は多くありますが、なぜ、人間は黄金比を美しく感じるのか、という視点の本は少ないとゆーか、そこに言及した書籍は、少ないとゆーか、皆無であるように爺は感じます。
たとえば、ひとつの仮説として、脳はベクトルを感じるニューロンがあって、黄金比の場合は、視覚野に投影するための脳の負担が減る(快感を得られる)ということなら、納得もできます。でも、もちろんそんな論文はありません^^; 今のところ、酔っ払い爺が感じているのは、「自己相似性」。自然界には、自己相似性のパターンがたくさん見つけることができる。人間は直感的にそれを感じている。つまり、黄金比の図形を見たときに、自然界にたくさんある「自己相似性」の法則に則っているから、自然の理があるから美しいと感じるのではないかという解釈。
「理性」は「rationality」と訳されますが、有理数は、整数の比で表すことができるから、人間から見たら「美しい」、「理がある」(法則がある)と思うのかも知れません^^;
しかし、そうなると、無理数は、「美しくない数」、「理がない数」ということになってしまいます。でも、理を法則と考えると「法則がない数」となり、ちょっぴり納得します。無理数の中でも「π」や、「e」は、超越数という名前がついていて、爺にとっても、不思議で神秘的な数です。
>ベスさん
「算法少女」は、爺が大好きな小説です。1973年に岩崎書店から刊行されるも、その後、絶版となりましたが、学校や塾の先生方や、数学に関わる多く人の支持を得て、「ちくま学芸文庫」で復刻されたと聞きます。大人が読んでも面白いのですが、ぜひとも、主人公の「あき」と同世代である、多感な現在の中学生に読んでもらいたいですね。
「天元術」は、「算法少女」の中にも登場しますが、6センチほどの算木(赤はプラス、黒はマイナスを表す)を算盤(さんばん)のマス目に並べ、代数の方程式を解く方法で計算します。
4次方程式のように、複素数(虚数)がからむ問題は、「虚部」と「実部」になりますが、もし、江戸時代の算法がそのまま発展したら、東洋思想としては、馴染みのある「陰」と「陽」という名称になっていたかもしれません(爺の妄想が炸裂^^;)。
でも、世の中(自然)は、陰と陽で出来ていて、陽は人の目で見ることができる世界だけれど、それと同じ広がりを持って陰の世界がある。それがタオ(道)平面(爺が勝手に命名)です。複素平面上の回転という概念も、なんとなくタオの概念を表した、あの(陰と陽が一体化した)マークを連想させるんですよね。量子力学の「トンネル効果」も、「陰」と「陽」で説明されたら、一般の我々にも、腑に落ちるところがあるのではないかと……^^;
爺も、「あき」に「ちょっと違うんじゃないかしら」と言われそうなことばかりです><;
和算における「不尽数」は無理数ではなく、無限小数一般のことだと理解しているのですが。
http://yonemitu.hp.infoseek.co.jp/wasanyougo.htm
虫さん、コメントありがとうございます。
うむむ、和算では、有理数である、循環小数と、平方数(無理数)や、円周率など(超越数)との区別がついてなかったんでしょうかね……;;
さらに学んでいきたいと思います><;