■書籍:数学でつまずくのはなぜか

 小島寛之センセは、誰しも生まれながらにして、すでに「数学はあなたの中にある」と言う。では、「数学でつまずくのはなぜか」

 問題:以下の一次方程式を解きなさい。

(※円の衝突判定は「Flashゲーム講座&サンプル集」に公開されているスクリプトを使わせて頂いた。感謝!)

 天秤に重さのわからない「X」グラムの「オモリ」と、「1」グラムの「オモリ」が複数個、乗っている。天秤が釣り合うように、左右の受け皿から「オモリ」をドラッグ&ドロップで取り除き、最終的に「X」は何グラムであるか確認してほしい。

 中学生以上であれば、こんな、まわりくどい「Flash」を用意しなくても、簡単に解くことができると思う。
 前エントリの「書籍:文系のための数学教室」で、小島寛之センセは「塾講師をしていたことがあった」と書いた。本書の冒頭で、ひとりの不登校の生徒に「数学」を教える話がある。その生徒に「いつ頃から数学の授業についていけなくなった?」と聞いたところ、「中1くらい」という答えが返ってきた。

 中学に入ると「算数」から「数学」になる。「算数」は個別的な問題を扱うのに対し、「数学」は、より普遍的な問題を扱うようになる。つまり、「4x+2」とか「3x+5」といった「文字式の計算」(代数)が登場するわけだ。たとえば「3x-x=」という問題に接したとき、「3」と答える生徒がいると言う。「3x」から「x」を取り除いたら、「3」が残るというわけだ。だからといって、小島センセは、この生徒に対し「数学的能力が劣っていると烙印を押すのは間違っている」と断言する。つまり「文字式とは何なのか」という根本的なことがわかってないだけなのだ。

 もしも「3x」が「3+x」というルールならば、この答えは正解となる。もちろん「3x」は「3*x」を表すわけだが、文字式の「書き方についてのお約束」という、どーでもいいようなところで、つまずいているのだ。

 小島センセは、この不登校の生徒に対し、次のような例題を出し、応用問題を解くように促す。例題は「偶数と偶数の和は、偶数であることを証明せよ!」というもの。このドリルでは「xとyを偶数とすると、整数、aとbを使って、x=2a、y=2bと表すことができる。すると、「x+y」は。「2a+2b」となるので、「2(a+b)」、ゆえに「x+y」は偶数という答えが載っている。

 その生徒は「なんで、aとか、bとか、使わなくちゃいけないんすか? 2+2が4じゃ、いけないんすか?」と聞き返したそうな。たぶん、私でも、もしも、こんなドリルの問題に接したなら、「私は、経験的に偶数と偶数を足し合わせたら、その結果も偶数になることを知っている。それが何か?」と答えていたかもしれない><;

 もちろん、「2+2=4」というのは、個別の事例で、すべての整数に対して検証したわけではない。また経験的に自分が納得したからといって、他者を説得できるわけではない。文字式にすることで、すべての整数においても、その関係が証明できるということである。「数学」の威力はここにある。

 で、小島センセは、この不登校の生徒は、文字式のルールを知らない(教えてもらってない)だけで、数学的能力が劣っているわけではないと思い、「5x+2=2x+20」という一次方程式の問題を出したわけ。もちろん、彼の第一声は「意味がわかんねっす!」。そこで、小島センセは、天秤の図を描いて説明した(※冒頭のFlashは、これを簡略化したもの)。

 すると、その不登校の生徒からは「なんだ、イコールとは、そういう意味なのか」という、つぶやき声が聞こえたという。その不登校の生徒だけでなく、私にとっても、この一次方程式の解き方は、えらく気に入ってしまった。「なぜ、最初から、このように教えてくれない?」という思いで、つたない「Flash」を作った次第。この「Flash」では、「x-3=0」のような式を作れないけれど、「=」を挟んで、移項すると、正負号が反転するのは、両辺から同じ数だけ引くことで、釣り合いを取っていることが感覚的にわかってもらえると思う。

 本書は、こんなふうに、代数でのつまずきや、幾何でのつまずき、解析学でのつまずき、自然数でのつまずき……を、わかりやすく説明してくれるが、その根底にあるのは、「数概念」や「図形認識」など、すでに「数学はあなたの中にある」という、数学を「インネイト」とみなす考え方だ。本書では、その考え方をさらに推し進める。

 「数概念」は生まれながらに「あなたの中にある」が、もしも「数概念」を生まれながらにして持っていないとするとどうなるか。数は少ないが障害を持っている場合だ。

 「サマンサ・アビール」は、生まれながらにして「数認識」と思われる、学習障害を持った女性で、25歳になるのに時計を読めなかったり、お金の計算や、距離や方向の感覚を掴むのも苦手だ。しかし、彼女は知的障害者ではない。「数認識」以外は正常であり、むしろ、15歳で最初の詩集を出版するなど、優れた才能を有する。

 小島センセは、彼女の書いた「13歳の冬 誰にも言えなかったこと」という本を読んで、「詩人であるにもかかわらず、その文章は、情緒的なものというよりはむしろ、非常に論理的なものであった」と言う。さらに「彼女の脳は普通の人とは違う形式で『世界の数理性』を感じとっているようにしか思えない」とも述べている。

 生まれつき「数認識」の学習障害を持っている女性が、普通とは違う形式で「世界の数理性」を感じとっているとは、どういうことなのか? それが「インネイト」に加え、本書で導入された「アフォーダンス」という考え方だ。

 「アフォーダンス」とは、アメリカの知覚学者「ジェームス・ギブソン」によって唱えられた理論らしい。たとえば、我々が物が見えるのは視覚器官である「眼」があるからだが、昆虫の「複眼」は、人間の網膜にあたるような感覚面がないそうで、従ってレンズによって光を1点に集め「像」を結ぶこともないそうだ。それでも、昆虫の「複眼」は視覚としての機能をちゃんと果たしている。

 「視覚を生み出す方法は多様にあり、それぞれの生物がそれぞれの方法で独自の視覚能力を備えた」というのが一般的な解釈だけれど、ギブソンは「視覚というのは、そもそも事物の側に備わった性質であり、その事物に備わる”見える”という性質を生物はそれぞれ固有の方法で抜き出している」と考えた。

 「泳ぐ」という能力は、そもそも水に「泳ぐことができる」という性質(属性)があり、生物は、それぞれの方法でその性質を引き出しているというわけだ。

 それと「数学」がどう関係するの? と疑問を抱く方もいるだろう。小島センセは、この宇宙、この世界には「数理性」という性質が備わっていて、それを、どんな方法であれ、引き出せればいいと考える。つまり、生まれたときから「数認識」の学習障害があったとしても、「普通の人と同じ方法ではダメ」というだけで、違う方法で「世界の数理性」を感じとることの可能性を否定できるものではない……と。

 小島センセの本を読むと、勇気がわいてくる。私のような、数学落ちこぼれの酔っ払い爺でも、アフォーダンス的な考え方によれば、私に「数学の能力がない」というのは、おかしいことになる。「能力」は事物のほうにあるからだ。

 また、小島センセは、数学教育者の「数学が役に立つ」という主張には「いやらしさ」が付き纏うと言う。なぜなら、「数学を役に立てることができそうもない人」は、数学を学ばなくてもよいという結論になってしまうからだ。「数学」だけでなく、人間はさまざまな教科を役に立つから学ぶのではない。「尊厳ある人間の当然の権利として学ぶのだ」と主張する。

 とくに「数学」の学校教育においては、自分たちと同じ方法だけを教え込む、文字通り、人間の「単眼」的な教育ではなく、「複眼」的な方法、「数学」が持っている性質というか、属性をうまく引き出すことのできる別な方法を否定せず、注意を払うべきだと。

 ここからは、酔っ払い爺の世迷い言だが、以前から「複眼」の昆虫は、どのように世界を見ているのか興味があった。視力は、相当に悪いらしい(昆虫の中でも多くの単眼を持つトンボでさえ、その数は5万個、つまり、デジタルカメラでいえば5万画素、人間の視力に換算すると、0.01~0.02くらいらしい。それが、トンボの脳の中で、どー見えているかは不明だが^^;)。しかし、視野は広い。トンボとかは、ほとんど360度をカバーしている。そして、「時間分解能」が人間と比べて、非常に高いらしい。人間は、蛍光灯の点滅も気にならないし、1秒間に24コマ程度のアニメなども、ちゃんと動画として見ることができる。とゆーか、テレビの画面を走査線が描き直している様を判別できないが、「ハエ」は、蛍光灯の点滅を、はっきり、明と暗に識別しているらしい。夜、部屋の中を飛んでいる「ハエ」は、人間の感覚でいうと、ミラーボールに照らしだされた、明と暗が点滅するディスコのように見えるのだろうか^^;

 視覚は、光のない真っ暗なところでは役に立たない。コウモリは超音波を出して、その反射を読み取り、障害物をよけて飛ぶという。物は「そこにある」ということを主張している。視覚がなくても、コウモリは別の方法で、「物がそこにある」という情報を引き出し、ちゃんと空間識別をしている。かつて、テレビのある番組で、生まれつき盲目の人が杖もつかず、壁に向かって、つかつかと進み、壁にぶつかるかどうか、寸前のところで立ち止まる光景を見たことがある。まさか、オデコから超音波を出しているわけではないと思うが、たぶん、いろいろな音の反射や、空気の密度(?)を感じ取って「壁がそこにある」という情報を引き出しているのではないかと思う。その盲目の人は、健常者に目をつむってもらい、壁に向かって立たせて「ほら、壁の圧迫感を感じませんか?」と言った。今でも、そのひと言が印象に残っている。

Kojima08
文系のための数学教室
小島寛之/著
講談社現代新書1759
価格:720円(税別)

Kojima06
数学でつまずくのはなぜか
小島寛之/著
講談社現代新書1925
価格:720円(税別)