■書籍:夜中に犬に起こった奇妙な事件

Haddon
夜中に犬に起こった奇妙な事件 新装版
著者/マーク・ハッドン
訳者/小尾芙佐
発行/早川書房
価格/1300円+(税)
ISBN978-4-15-208795-9

 高機能自閉症、あるいはアスペルガーと呼ばれる人の中には、音楽や数学などの分野で優れた才能を具える人がいる。本書は、高機能自閉症の少年「クリストファー」が夜中に奇妙な事件を目撃するところから始まる。隣家の飼犬が何者かによって殺されてしまったのだ。第一発見者である少年は、犯人と間違われ逮捕されてしまう。すぐに疑いは晴れ釈放されるのだが、少年は犬を殺した犯人を探すことを決める。

 この本は「ぼく」という一人称で語られる。最初から最後まで少年から見た世界が描かれているのだ。少年「クリストファー」は、すべてのことを映画のフィルムに焼きつけるように記憶してしまう。だから、行ったことのない場所に行くと、情報量が多過ぎて、どうしていいかわからなくなってしまう。知らない人と接するのも怖い。表情を読みとったり、言葉の裏にある真意を理解できないからだ。他人に体をつかまれるとパニックを起こしてしまう。

 日常の生活を送るにも大変な困難が伴うが、生きる術もある。家具がいつもと同じ位置にあれば安心するし、自分で作った規則と順序に則って生活すればよい。無差別に入り込んでくる情報は、目をつぶり、頭の中で数学の問題に集中することで、なんとか遮断できることもある。

 しかし、夜中に犬に起こった奇妙な事件のせいで、見知らぬ世界に出るはめになる。私たちには見慣れた世界でも、少年の目を通してみると、雑多な情報に満ち溢れ、眩暈がする世界だ。

 この本では、度々、唐突に脈絡のない数学の問題が登場する。「モンティ・ホール問題」だったり、「オッカムのかみそり」、「コンウェイの兵隊」のパズルなどなど……。その中で、私が興味を持ったのが、以下の「生き物の数の公式」。

 少年の通う養護学校には、池があり、そこにはカエルがいる。毎年、池にいるカエルの数を数え、グラフにすると、ある年は大量にいたり、また、ある年は少なかったりして、ギザギザの折れ線になる。カエルが大量に発生した年は、比較的暖かかったり、逆にカエルが少ない年は、捕食者であるアオサギが多く飛来したとか……いろいろな理由が考えられる。でも、そういった理由があてはまらない年がある。それは、ただの数学にすぎないことがある。

 グラフの縦軸は、個体の密度(0~1)を表している。密度が高ければ、池に生息するカエルの数が多いということだ。このグラフの興味深いところは、λ(ラムダ)係数が1より小さいと、カエルは死滅してしまうが、1以上、3未満では、カエルの数はやがて一定の数になり、その数を維持する。3~3.6では、規則的に増減を繰り返す。そして、それ以上になると、カオス的な振る舞いをするグラフになること(※正確には「3.57」ということだが、このFlashでは、λ係数は、0.1刻みでしか変更できない)。

 で、この本によると、この「生き物の数の公式」は、ロバート・メイ、ジョージ・オスター、ジム・ヨークによって発見された、とあるが、この問題に割かれているのは、ほんの数ページなので、詳しいことは、よくわからない。

 話を戻すと、この物語は「ぼく」という一人称で語られる。この一冊の本自体が、主人公の少年「クリストファー」が書いたという設定になっているわけだ。だから文体もぎこちなくて、「そしたら」という接続詞が何度も続いたりする。もったいぶった修辞はなく、ストレートだ。章立ても「2章」から始まり、3、5、7……と素数の並びになっている。風景も少年から見た風景であり、登場人物の表情や服装に関する描写はない。ただし、パジャマの幾何学的な繰り返しの模様などは図入りで説明されている。唐突に挿入される数学の問題もそのひとつだ。

 しかし、いったん、その世界に入り込むと、382ページをいっきに読ませてしまう。帯には「数学のように割り切れない人間の複雑さは、あわれで、滑稽で、それでもいとしい」と角田光代さんの言葉があった。けっしてクリストファーの目を持つことはできないけれど、つかのま、一緒に謎を解き、一緒に行動し、勇気を奮い立たせて知らない世界へ踏み出す……そして、一緒に達成感を味わった。

 関係ないけれど、クリストファーが通う養護学校の校長が「ガスコイン」という名前なんだよね^^;

Haddon
夜中に犬に起こった奇妙な事件 新装版
著者/マーク・ハッドン
訳者/小尾芙佐
発行/早川書房
価格/1300円+(税)
ISBN978-4-15-208795-9