■闘う物理学者!

 最初に竹内薫センセの「薫日記」で本書のタイトルを見たとき、喧嘩早い竹内センセが自分の半生を綴った本なのかと心配になったが^^; そうではなく、ガリレオVSローマ法王、ファインマンVSゲルマン、アインシュタインVSボーア……といった歴史的な天才たちの喧嘩なのだ。といっても、面と向かった罵り合いの喧嘩ではなく、異端扱いをされたボームや、逆境や差別と闘ったマリー・キュリー、湯川秀樹VS朝永振一郎のような天才同士の苦悩と葛藤など、天才物理学者の意外な一面を垣間見せてくれる。天才物理学者と言われる人たちも、みんな悩むのね……と、さまざまなエピソードとともに物理学者の愛すべき人間性を感じさせる本。肩の凝らない興味深い話の中で物理学者たちの論争の核となる科学的な事柄もじつにわかりやすく伝えてくれる読み物だ。

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闘う物理学者! 天才たちの華麗なる喧嘩
著者:竹内薫
発行:日本実業出版社
価格:1600円+税
発行年月:2007年8月
ISBN978-4-534-04265-1

404 Blog Not Found:書評-闘う物理学者!

だから、ニュートン出てきませんって。

 「たけしのコマネチ大学数学科:ニュートン」で、前段の流れから、本書を紹介する際に「ニュートン」の名前を出したが、たんに物理学者どうしの闘いという意味。もちろん「ニュートン」も「ライプニッツ」も「ロバート・フック」も本書には出てこない。先に述べたように、本書は物理学者どうしの喧嘩というよりも、世の中と闘った物理学者という意味あいが強い。あらためて紹介するつもりだったので、言葉足らずな表現になってしまい誤解を与えてしまったようだ。

 本書を読んで認識を新たにしたことがある。量子力学をめぐるアインシュタインとボーアの論争は有名だよね。その中で「EPRのパラドックス」という思考実験がある(EPRとは、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンという3人の物理学者の頭文字をとったもの)。ボーアによると、例えば、電子は、コマのように回転している。回転速度は一定に決まっていて、左回転か、右回転のどちらかだ。どちらが左回転で、どちらが右回転かは、測定してみるまではわからない。そこで、片方の電子を測定し、左回転であるとわかれば、もう片方は右回転ということになる。この「量子のからみ合い現象」は、ふたつの電子をどれだけ遠くに、宇宙規模で離してもかわらない。アインシュタインらは、片方の電子を測定して左回転だったとき、それがテレパシーのように瞬時にもう片方の電子に伝わり、回転方向が決定されるなんてことは、受け入れられないとした。「なにものも光速を超えることはできない」とするアインシュタインの相対性理論に反する。つまり、パラドックスが生じるのだ。

 今も昔も聞きかじりの私であることに変わりないが、昔、読んだ本には、「情報は光速を超える」と、書いた本があったように思う。意味もわからず、酒の席などでエラそうに「情報は光速を超えることができるんだよ」などとのたまった覚えがあるのだ。恥ずかしい;; 本書では「情報は伝わっていない」と断言する。なぜかと言うと、測定するとき、その電子が左回転か右回転かは、五分と五分の確率だが、測定によってコントロールすることはできない。左回転か右回転かは自動的に決まるだけのこと。コントロールできないので、情報が伝わったとは言えない、ましてや、これを利用して通信することなどできない。

 自らの職業を科学インタープリター(通訳・翻訳者)と名乗る、竹内センセは「量子は宝くじのようなもの?」と身近な例で説明する。宝くじの抽選が「観測」という行為に当たるという。抽選が行われる前には確率的にしか宝くじの状態を表すことしかできない。抽選が行われてはじめて状態が決まるわけだ。ふ~む、なるほど。今度、飲み会があったときは、この話題を酒の肴にしよう……^^;